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上海で始まったゴミ分別から思ったこと

  • 執筆者の写真: 竇少杰
    竇少杰
  • 2019年7月3日
  • 読了時間: 5分

最近、Wechat(中国のSNS アプリ)のモーメンツにおいて、上海で始まったゴミ分別が話題になり、注目を集めている。今回上海で実施されているゴミ分別は「可回収(資源)ゴミ」「有毒ゴミ」「湿(生)ゴミ」と「乾ゴミ」のおよそ4種類と分けられており、細かい内容とルールも設定されている(図1を参考)。「大学入試よりも難しい」「これではゴミを捨てられないわ」…多くの上海市民は困惑の悲鳴を上げている。わかりやすくするために、図2のような面白い解説まで出回っているのである。

 日本では、ゴミ分別は当たり前のようなことになっており、分別しないでゴミを出すことはむしろ常識はずれのような行動だと、社会においては浸透している。筆者は2001年に初めて日本に来た時に日本人の日常的なゴミ分別に驚いていたことを今でもハッキリ覚えている:路上にはゴミ箱がない、道がきれい、ゴミが全く見当たらない。また、決まった曜日に決まった種類のゴミを決まった場所へ出すこと。特に粗大ゴミはお金を処理費用として支払って出すこと…このようなきれいな環境の中、筆者も中国で知らないうちに身につけていたゴミのポイ捨てができなくなり、外にいる時にゴミが出たらいつも住所に持ち帰って、分別してゴミ箱に出していた。(図3、日本のゴミ分別とゴミ回収車)

図3、日本のゴミ分別とゴミ回収車

 しかし中国ではこれまでゴミ分別する習慣がなかった。つまりゴミを捨てることについてはルールがなく、ゴミがあれば皆さんはテキトウに捨てていたのである。今回は上海のゴミ分別は話題になっているが、上海はあくまでも実験地の一つであり、これからは中国全土でゴミ分別は実施されるのであろう。

 ではなぜ今頃になって、中国政府はゴミ分別を全国民に要求したのか。

 一番重要な理由はもちろん、ますます深刻になっている環境汚染問題の解決にある。中国では今、主に①埋める、②燃やす、③肥料へ変えるといった3つのゴミ処理方法がある。ゴミ分別をしないままで出されると、多くのゴミはやはり①と②の方法で処理されてしまい、環境へのダメージは大きい。そしてもう1つの理由は資源ゴミの有効利用である。前段でも書いてあるように、ゴミ分別しないままでは、可回収(資源)ゴミも埋められ、あるいは燃やされてしまうことになってしまうのである。また、都市部のゴミの量の増加を食い止めることも、今回のゴミ分別実施の狙いだと言われている。確かにゴミ分別を大変面倒だと感じたら、なるべくゴミを出さないようにすることと繋がるだろう。したがって、中国全土でゴミ分別を徹底的に実施することができれば、中国の環境問題や資源の浪費問題などの解決に大きな進歩となるに違いない。

 ところが、筆者が思ったのはこれだけではない。今回のゴミ分別の導入と実施は、中国社会にさらなる広い範囲で大きな影響を与えていくことになるのである。

 ゴミ分別はルールに従って実施しなければならない。筆者はここで強調したいのはルールの遵守である。ゴミ分別の実施がうまくできれば、中国の国民は細かいところでルールを遵守することになり、これは実施していくうちに習慣化されてくると、学習や仕事の中においてもルールを遵守するという「躾」になっていくのであろう。このレベルまで本当に達成できれば、中国社会、あるいは中国の国力はさらに強くなってくるだろう。なぜそう言えるかというと、今回上海のゴミ分別の実施を見て、筆者は「5S」を想起したからである。

 企業ではよく「5S」が実施されている。「5S」とは「整理・整頓・清掃・清潔・躾」を指しており、5つの単語のローマ字表記の頭文字が「5S」となっている。「5S」の原理原則は、整理・整頓・清掃、この3つの「S」をしっかりやっていくと、4番目の「S」(=清潔)が実現され、継続してやっていくと5番目の「S」、つまり「躾」が実現される。したがって「5S」の最終目的は「躾」であり、「躾」まで進められないと、「5S」はいつになっても表面的なことになってしまう。中国ではよく「日本人は真面目で、仕事においてはいつもルールをしっかり守っており、このような人間集団が一緒に仕事をしているから効率も高く、現場力も強い」と称賛している。それは日本人の国民性で、中国人ではできないと諦めてしまう中国企業の経営者も多いだろう。しかし何でも国民性で片付けてしまうことは逃げ道や言い訳に過ぎず、自らの進歩を阻害してしまうと筆者は思う。日本人の特質には確かに、「島国」や「単一民族」など、いわゆる「国民性」から来る部分もあるだろうが、その多くはやはり戦後、経済の成長と社会の成熟に伴い、様々なルールの誕生、施行と浸透で形成されてきたのである。

 それに対して中国ではこれまで、市場経済メカニズム・競争原理の導入と社会インフラ・ルールの整備とのバランスが取れていなかったことや、人治社会、格差問題など、様々な要素により、ルールそのものが持っている厳重性への認識は足りなかった。むしろ「自分は人脈やコネ、あるいは特権、力を利用してルールを破っても大丈夫だ」と自慢する人も多くいた。結果として組織の効率も悪く、様々な問題も多発し、人々のベクトルを合わせることができず、組織としての力も弱かった。近年、中国の経済成長と社会の成熟に伴って様々な社会的ルール(モラル)が形成されつつあるが、ルールの遵守への認識はまだまだ足りていない。「うちの社員は決めたルールを守ってくれない。どうすれば良いか」と苦悩する経営者も管理者も多いようだ。このような状況の中、今回のゴミ分別も、実に時代や社会の需要に応じて誕生した動きであろうが、決心して徹底的に浸透していけば、中国政府が意識的に推進しているかどうか不明ではあるが、全国民の「ルール遵守への慣れ」という副効果は前段で紹介した環境や資源問題の解決よりもずっと重要な効果があると筆者は思う。そして様々なルールが時代や社会環境の変化に応じて生まれて定着されていくと、ルールを守ることは中国全国民の習慣、常識となっていき、いわゆる「国民性」も形成されていくのであり、中国の国力も次第に強くなっていくのである。

 今回の上海で実施されているゴミ分別を日本で眺め、経営学と社会学の視点から以上のことを考えた。ルール遵守の厳重性への認識を高め、国力を増強させることを期待していきたい。


 
 
 

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